岡 仁詩先生

去る2007年5月11日(金)午後0時50分、わが同志社ラグビーの偉大なる指導者であり、日本ラグビー界を長年支えてこられたDRC名誉顧問の岡 仁詩氏(S28)が城陽市内の病院にて突然帰らぬ人となってしまいました。享年77。
1959年に同志社大学ラグビー部監督に就任、3年後の1962年には第二回NHK杯(日本選手権の前身)で優勝、1964年の第一回日本選手権で見事日本一に導かれました。その後、1982年から1984年の全国大学選手権3連覇を成し遂げられました。この間、日本代表監督、強化委員長などを歴任され、同志社ラグビーのみならず日本のラグビー界に多大なる貢献をされました。
4月には同志社香里高校のオーストラリア合宿に同行され、5月のラグビー祭にもいつもと変わらない様子で試合観戦され、その後の新入生歓迎レセプションにも出席されておられましたのに・・・。
4月の金野先輩がご逝去されたばかりで、OB、関係者一同は信じられない気持ちでいっぱいでした。今後は両氏の意思を我々OB一同がしっかりと受け継ぎ、同志社ラグビーの益々の発展に協力し合っていかなければと思います。

想 出
岡先生の逝去は余りにも突然でした。5月5日のラグビー祭では大変お元気で、待望の人工芝グランドの完成式典、故金野先輩への感謝状の贈呈、記念試合の観戦と、いつもと少しも変わりなく、最後の新入生歓迎会までご一緒でした。まさに突然と言うほか言葉がありません。
岡先生との出合いは、私が現役選手で岡さんがOBとしてグランドへ来られた時でした。爾来長年に亙るお付き合いでしたが、なかでも、私がDRCの理事(幹事)、理事長(幹事長)、副会長、会長等OB会の役職を務める中、岡先生は監督であったり又部長でした。
私は、OB会の運営を担って来て、いつも心掛けたのは「岡先生がやり易いように」でありました。その事が取りも直さず「強い同志社ラグビーを作る」に繋がると信じたからでした。この為、岡先生とは随分と話し合いをし、また行動を共にしました。
岡先生との想出といえば、1988年創部80周年事業として全同志社でイングランド遠征した事、1995年3月にはチーム強化のため3週間のニュージーランド合宿をした事、そして、プライベートでは、1997年のウェールズを拠点、更に2003年のシドニーを拠点として開催されたワールド・カップ・ラグビー観戦に同行した事、また、国内では何と言っても夏合宿で北見市のモイワ・スポーツ・ワールドに5年以上フル参加した事です。
岡先生は、1989年に心筋梗塞で長期入院されましたが、この時は私の勤務先と自宅の間に病院があった為、連日に見舞って良く話をした事です。また、二人共食いしん坊なため、良く美味しい物を食べ廻りました。しかし、体を悪くされた後は好きなものは何でも食べられましたが、量は減らし節制しておられましたので、まだまだ長生きされるものと思っていただけに大変残念です。これからは岡先生の教えを基に、OB一丸となって新しい同志社ラグビーを作り上げて行きます。
最後になりましたが、長きに亙るご厚誼に感謝致します。
 

同志社ラグビークラブ
会長 安村 清

【岡 仁詩 先生のプロフィール】
・1929年(昭和4年)11月10日生まれ(享年77)
・大阪市旭区出身
・同志社大学名誉教授、元日本代表監督、元日本協会理事、元日本協会強化委員長、関西ラグビーフットボール協会評議員、元理事、同志社大学ラグビー部元部長・元総監督、DRC名誉顧問

1947年 旧制天王寺中学卒業(現天王寺高校)
在学時のポジションはロック。生涯格闘となる楕円球との出会いであった。
1953年 同志社大学・経済学部卒業
在学時のポジションはフランカー、No.8。練習ではセンターやSOも努める。
1959年 同志社大学ラグビー部監督に就任。(29歳)
1961年 第2回NHK杯(日本選手権の前身)で初の日本一達成。
1963年

第1回日本ラグビーフットボール選手権大会にて優勝。

1982〜1984年 全国大学選手権3連覇を達成。
1995年 同志社大学文学部教授、ラグビー部長を定年により退任。
・日本代表監督歴:1972、1975、1985、1986年の4回にわたり努める。
・日本協会理事歴:1987〜1996年度
・関西ラグビーフットボール協会評議員
 
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